久保田三十三観音(柳津町)
会津には、南山地域の領民の発願(ほつがん)により始まった御蔵入(おくらいり)(奥会津)三十三観音や、城下町の寺を巡る町廻り三十三観音(まちまわりさんじゅうさんかんのん)、小高い丘陵の中腹に地区の人が願いを込めて一戸一体刻んだ三十三体の観音像が安置されている久保田三十三観音など、さまざまな三十三観音がつくられ今に残る。
旧正宗寺三匝堂(会津若松市)
その一つ寛政八年(1796)に建立された旧正宗寺三匝堂(きゅうしょうそうじさんそうどう)は、通称さざえ堂と呼ばれる螺旋(らせん)状の三層六角の特徴的な観音堂である。上りと下りが全く別の通路となる特殊な木造二重螺旋構造により、参拝者はスロープを一方通行に進んで堂の天井部に至り、そのまま違うスロープを下って他の参拝者とすれ違うことなく出口にたどり着く。かつては三十三体の観音像がスロープに沿って安置され、参拝者はこの堂を一巡することで西国三十三観音巡りができるとされた。さざえ堂は、この不思議な建物を巡る楽しさと、手軽さから庶民の人気を博した。廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)により観音像は散逸したが、世界にも類を見ない独特の建物は、今も堂の内部を一巡すると異世界を潜り抜けるような不思議な感覚を体感できる。
会津に三十三観音が定められてからは、体力的にも費用的にも身近なものとなり、人々は田畑の仕事が一段落した頃、三十三か所それぞれの「御詠歌(ごえいか)」を唱えて霊場を巡礼した。会津の三十三観音は、国宝を蔵する寺院から山中に佇むひなびた石仏までその形は様々だが、今も息づく観音信仰に守られて地域のいたるところにその姿をとどめており、これら三十三観音を巡った道を、道中の宿場や門前町で一服しながらめぐることで、往時の会津の人々のおおらかな信仰と娯楽を追体験することができるのである。